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枕もとの目覚まし時計が、安らかな眠りを妨げる。
ジリジリと耳障りなその音は、嫌でもアレンの意識を現実へと引き戻した。
「……ったく、うるさいなぁ……」
暖かい布団の中から腕を伸ばし、煩い音源に手をかける。
ようやく耳障りな音から開放されたと思うと、
今度は両腕を頭の上にもたげ思い切り背伸びをしてみせた。
「んん〜いい朝だ!おはよう、ティム!」
身体が軽い。いい目覚めだ。
アレンは自分の布団の上でもぞもぞと動く金色のゴーレムに、
にこりと笑いかけるとベッドから身体を起こした。
再度背伸びをしながら部屋の中を見渡すと、見慣れているはずの自分の部屋に、
何となく違和感を覚える。
「あれ?部屋の模様替えなんか、いつしたっけ?」
小首を傾げながらベッドサイドの椅子に掛けていたシャツを羽織る。
いつも身につけているお気に入りのシャツのはずなのに、
そのシャツの着心地にさえ微妙に何かが違うと感じてしまう。
「う〜ん、何か変なんだけど……」
気のせいかな、と小さく呟きながら胸元のボタンを閉じる。
そして身支度を整え食堂へ向かうべく、アレンは鏡の前へと立ち上がった。
ぼんやりとした表情で鏡の前に立つと、目の前に映る己の顔へと目を向ける。
瞬間。
「え……?」
アレンは驚きのあまり、言葉を失っていた。
それは、いつも鏡を覗き込むとそこにあるはずの己の姿が、
あまりにも自分の知っている姿とかけ離れていたからなに他ならなかった。
「誰?……これ……?ひょっとして、僕?」
そこに映っていたのは、明らかに己であろう顔と肩口までの長い髪。
栄養の行き届いた薔薇色の頬をした少年だった。
だが、今までの認識とはかけ離れていたのはその髪の色で、
老人の如き醜い白髪はいつの間にか綺麗な茶色に変わっていた。
光の加減で微妙に金色にさえ輝くその色は、
昔憧れていた何処かの国の王子様のようだ。
思わず手で触ってみると、
教団内の浴室常備の石鹸で洗っているとは思えないほど手触りが良い。
更々と流れるその感触は、
まるで手入れの行き届いた少女の艶やかな髪を思い浮かべさせた。
「僕の髪……だよね?」
しばらく手で梳いているうちに、それはみるみるうちに手に馴染んでくる。
「うん。そうだ。確かに僕の髪」
声に出して納得すると、今度はその前髪を掻きあげる。
血色の良い顔には傷一つなく、美少年と形容するのが相応しかった。
「これが、僕の顔?」
そこにあるのは確かに自分の顔だ。
そう自分でも思えるし、間違いはないはずだった。
だが、何か欠けているものがある。自分には無くてはならなかった他人とは違う何か。
それは……。
「……マナ……」
懐かしい名前を呼ぶ度に、あの優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。
それと共に、拭いきれない後悔の念が思い出され、
小さな胸を押し潰しそうになった。
アレンは幼い頃に大好きな養父を亡くし、
その哀しみのあまり大きな罪を犯してしまった。
大好きな人の魂を醜い義骸に呼び込んで、
AMKUMAという恐ろしい兵器にしてしまったのだ。
その彼を自らの手で葬り、その呪いを自らの身体に受けた。
呪いの印でもある醜い傷……ペンタクルが、
左眼を大きく引き裂くように標されていたはずなのに、
今目の前の自分の顔からは、それがものの見事に消え失せているのだ。
「……どう……して……?」
頭の中が混乱する。
何が何だかわからない。
鏡に映る姿が自分に思えないなど、こんな不可思議な事はない。
生まれた時から持ち合わせた醜い左手。
それは今もこうして自分の元にある。
そんな左手と同じぐらいに他人から気味悪がられた白髪とペンタクル。
それがすっかり無くなってしまっているなんて、アレンには考えられなかった。
ヨロヨロとベッドに座り込んで、両手で頭を抱え込む。
何度も深呼吸を繰り返し、自分の気持ちを落ち着かせようと試みた。
どれが本当でどれが嘘なのか。
どっちが本当の自分で、どっちが偽者の自分なのか。
すると徐々に頭の中が整理されてきて、
今まで自分の姿だと思い込んでいたものは、
いつも見る悪夢であることが徐々に理解できてくる。
鏡に映るのは間違いなく綺麗な容姿をした自分で、それが現実の姿である…と…。
おそらく現実が幸せすぎて、悪夢の恐怖に怯えてしまっていたのだろうと、
無理矢理こじつけて自分で納得する。
「そうだよね?やだなぁ……僕ったら。
なんであんな性質の悪い夢見ちゃってたんだろ?
よりによって、僕がマナをAKUMAにするなんて。
そんなことある訳ないじゃん!
だって僕はマナのことが大好きで、その魂を貶めるなんて考えられないもの!」
そう言いながらも、何故かアレンの瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。
大好きなマナの死。
それだけは変えられようのない事実だった。
貧乏芸人の長旅で疲れたまり、
たまたま体調不良と重なってマナの持病を悪化させた。
死に際は本当にあっけなくて、
さっきまでアレンの髪を優しく撫でていたはずの手が止まったと思いきや、
眠るように息を引き取っていた。
あの頃のアレンにはマナの死が受け入れられられず、
真冬の墓標の前で何時間も座り続けていたことを覚えている。
マナが死んで間もなく、アレンはクロス師匠に出会い、
この黒の教団にエクソシストとして入団した。
クロス師匠が与える試練は、それはもう尋常ではなかった。
幼いアレンは毎日が戦いだったが、それでも彼の存在が、
マナを失ったばかりの哀しみを癒してくれた。
厳しく育てられたお陰で、極貧でも生き延びる術を覚えたし、
何とかここまで辿り着くこともできた。
「僕はマナに誓ったんだ。この左手がある限り、
AKUMAを壊し続けるって。
そうすることが僕を拾い育ててくれたマナへの恩返しなんだから……」
自分の決意を再認識するがの如く、アレンは大きく呟く。
そして、再び立ち上がると鏡の前に立ち、何かを振り切るように
胸元のリボンタイを勢い良く結び始めた。
「うん。これでよし!さて、今日も一日がんばるぞ」
胸元のリボンは薄いグリーン色で、彼の艶やかなブラウンの髪の色に良く似合う。
その見目の良さに相応しく、シャツは特注のシルクで出来ていた。
大きく澄んだ瞳は程よく光を放ち、
長い睫毛が揺れるたびに男性とは思えないほどの華やかさを漂わせる。
醜い左腕は相変わらずのままだったが、
普段は手袋で覆っているため逆に紳士的にさえ見えた。
その綺麗な顔でにこりと微笑まれると、アレンに夢中にならない女などいない。
お陰様でクロス師匠がいくら借金を作っても、
アレンを慕う女性たちが次から次へと返済してくれる。
ちょっとばかりお世辞を言い、ニコリと微笑を見せるだけで借金苦から逃れられるのだから、
その手を使わない訳はなかった。
別に何をすると言うわけではなく、軽い食事を共にするだけで、
女性たちはいつも上機嫌だった。
ジゴロだとかツバメだとか、下世話な言葉で噂される事も多々あったが、
そんなことは別にどうってことない。
綺麗に着飾った上流階級のご婦人方をエスコートして、
軽くカジノで一勝負すれば、逆に釣がくるほど儲けられた。
特定の女性は作らずに、不特定多数の女性と卒なくお付き合いする。
そんなアレンの気を引きたくて、女性たちは数々の豪華な品物を彼に貢いでいた。
実は、今日羽織っているシルクのシャツも、類に漏れず女性からの贈り物だった。
だが贈られてくる品々は、どれも華美なものばかりで、
アレンは正直あまり好きではなかった。
シルクのシャツよりも本当はコットンの方が肌に馴染んで好きなのに、
贈り物ということで仕方なく着ているに過ぎない。
つい最近やってきた本部の自室でさえ、
もうすでに女性からの贈り物で埋め尽くされていて、何となく居心地が悪い。
その証拠に、今朝目覚めて一番に目にした置物など、
およそ自分の趣味とは言い難い派手な金細工が施されており、
アレンは思わず苦笑いをしながら、指先でその端を弾いてみせた。
「あぁ……そうか。そういえばコレは昨日届いたばっかりだったんだ。
どうりで見覚えがないわけだよねぇ〜。
それに、このシャツもそろそろ綿素材に替え時かなぁ……」
贈り主の女性には申し訳ないが、高価なものが全て相手に好まれるとは限らない。
「あの金細工ならかなりの値になるだろうし、売ったお金で新しいシャツでも買おう。
本当はこんなシルクのシャツなんて、ガラじゃないんだよねぇ」
小さく溜息をつき、アレンは自嘲した。
鏡に映る自分の姿は、まるで自分をあざ笑っているかのように見える。
他人を見た目で翻弄し、利用価値でしか判断しない哀れな男。
愛だとか使命だとか、本当は全部たてまえでどうでもいいのだろう。
AKUMAと戦うなんて危険なことをしなくても、
今まで通り女に金を貢がせればいいじゃないかと、もう一人の自分があざけ笑う。
「いけない、いけない!……また悪い夢に引きずられちゃうとこだった!」
アレンは鏡の間で無理に笑ってみせた。
これが自分の築いてきた生き方だから仕方ない。
奇麗事ばかりじゃ生きていけないんだ。 そう自分で自分に言い聞かせる。
夢の中の自分は醜い白髪の上、額に呪われた大きな傷を負っていた。
もし本当にあんな醜い傷を背負っていたら、誰からも気味悪がられて、
最悪の人生であったに違いない。
自分にそんな過酷な運命が耐えられるだろうか。
想像しただけで怖くて身震いがする。
アレンは、あれが悪夢であってくれて良かったと、ほっと胸を撫で下ろした。
……これが自分……本当の自分。
何も心配する事なんて無いじゃないか……。
そして支給されたばかりの真新しい団服に袖を通すと、
アレンは自室のドアを勢い良く開け放った。
《あとがき》
お待たせいたしましたw
あまりにサイトを放置しすぎたため、
お詫びと言ってはなんですが、FunBook Vol.2 の
「Time Passenger」を書き下ろし付きでUPすることにしました♪
既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
同人誌とは副題が違います(*^v^*)
要するに、二人の愛の営みをもっと濃いものにしていこうと画策しているわけで……。
既に本誌をお買い上げの方にもお楽しみいただけるように、
オリジナルシーンもどんどん付け加えていく予定です(  ̄ー ̄)*キラン☆
これからサクサクとUPしていく予定ですので、
つづきも楽しみにしていらして下さいね〜ヽ(*'0'*)ツ
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